2009年9月11日

バリ Tengananトゥガナン村のUpacaraNgusabaSambah先祖崇拝の儀式


中でもこのMekare kareという儀式で、上半身裸の男性達が、pandanというアロエのような棘のある葉でお互いの背中をたたき合うのが最も印象的。背中が血で染まってる人もいます。

この時、楯に使っているのが、今ではバリの人気雑貨ナンバーワンとなったアタバッグの原型です。

この儀式は、トゥガナン独特の暦で毎年だいたい6~7月に行われ、昔は3日間あったのですが、今はたったの1日だけ、今年は7月11日、偶然見れたのはとてもラッキーでした。

2009年7月31日

バリ 我が家の胡蝶蘭

1回散って、また咲いた胡蝶蘭、ちょっと前はもっと満開だったのに惜しいことした…

バリ嫁の宿命(続編)

4年に一度の合同お葬式が全て終わり、村はまたゆるゆるとした生活に戻りました。
6月5日はNgaben(火葬)、17日はNgaroras(魂の儀式)。

Ngarorasは夜中の12時に行う儀式で、魂のシンボルを燃やし、その灰をさとうきびをすりこぎのように左手に持ってゴリゴリと家族・親戚が順番にすります。
125名分のこの儀式が終わったのは3時半、それから海にそれを撒きに行きお祈りし、村に戻り水浴びして身を清め直してすぐ、朝7時に今度はお寺巡りに出発。
村人全員なのできっと50台くらいの車と大型トラックに分乗。
初めはゴワ・ラワ(たくさんのこうもりが住む洞窟のお寺)へ、
① 海岸でお祈り、
② 境内でお祈り、
それからバリ・ヒンドゥ総本山のブサキ寺院へ、
③ 手前にある死に関するお寺でお祈り、
④ 敷地内の初めのお寺でお祈り、
⑤ それぞれの家族のお寺でお祈り、
⑥ 本寺の境内でお祈り
…村に戻ったのはなんと夜の8時でした。
ほとんど寝ずの徹夜明けのお寺巡りは、お坊さんがマントラと唱えながら振る鐘の音が毎回子守唄になり、みーんな舟をこいでいました。
私も目を閉じると即夢を見るような感じで、お祈りもチンプンカンプン、あっちの世界とこっちの世界と行き来しながらの不思議な感覚のお祈りで、自分で自分がおかしく笑えました。

今回、準備から時々参加して、考えさせられたこと…
ここの人達は、本当に助け合い支え合って生きているということ、
こういうことを繰り返しているから、結束が固いこと。
今までは忙しさにかまけて村のお手伝いはほとんど参加せず開き直っていたけど、このままだと、自分は自分のせいだけど、将来子供たちが誰にも助けてもらえなくなるんじゃないかと思わざるを得ませんでした。
話しづらいと思って敬遠していた人と一緒に作業しなくてはいけなかったり、でも意外に会話がはずんで楽しかったことも幾度もあって、一つ壁を乗り越えたような気がします。
声をかけてくれる人もすごく増えて、この村に受け入れてもらえてるのかなと嬉しく思う反面、すっかりバリ人化してしまうのではないかとびびりつつ、日本人バリ嫁まだまだ修行の日々が続きます…

2009年7月13日

バリ発 東ジャワのヒンドゥ教寺院にお祈りの旅













イスラム国家インドネシアにおいて、バリ島だけは島民の9割以上がヒンドゥ教徒。数少ないジャワ島在住のヒンドゥ教徒のためのお寺のお祭りに参ったお話の始まり、始まり…

7月6日早朝6時半、村を出発。お義父さんと義弟、姪っ子、甥っ子、友達いっぱい…大人15名+子供4名が車2台にぎゅうぎゅうに分乗。

バリ最西端のギリマヌク港に着いたのは10時過ぎ、ジャワ島まではフェリーで40分の船旅、10時半バリ島を離れる、快晴。

やっぱり船が好き、海が大好き。もともとバリに来たのも南の島好きだったから…なのに縁あって山に住んでいる。奈良も海がなくてあんなに憧れてたのに…ってことを思い出す。

だから船の上では子供と一緒にはしゃぎまわった。ずっと甲板に出て波を見ていた。

バリ島とジャワ島は、船でたった40分の距離だから陸からでもお互いよく見える。ジャワ島には富士山級の山がいくつもあるので壮大な景観、西ジャワのジャカルタのような大都会のイメージとはかけ離れている。

ジャワ島側のバニュワンギの港からまた車で今度は約5時間のドライブ。

バリ島とジャワ島の違い①犬がいない。②べチャ(自転車タクシー)がいっぱい。③電車が走ってる。④モスクがいっぱい。⑤民家が高い塀で囲まれてなくて丸見え。

9年くらい前にも行ったのだけど、その時は気付かなかったっけか…バリに10年以上住んだからこそわかる、あれ?!何か違うぞって。

②と③以外は宗教上の考えによるものだから、インドネシア国内ではきっとバリ島だけが違ってるんだと思う。

べチャには乗ってみたかったなぁ…

電車好きの息子は久しぶりに線路を見て大興奮!ただ電車は本数が少ないみたいで帰路に1回走ってるのを遠めに見ただけ。

私はそれよりも、広大な畑の中に、刈りとったものを積んだ小さな貨車が連なっているのが新鮮だった。運転席のないあれはトロッコ?!…ぜひとも運ぶところを見たかった。

途中、何度も何度も線路を横切ってくと、今度は1時間くらい河川敷を走り続けた。

一度ごはん休憩をとっただけで疲れてるはずなのに楽しくてしかたなかった。

そして5時間半後の夕方5時(現地時間は4時)、目的地のルマジャンにあるお寺に到着。

ヒンドゥ教のお寺だけど、参道にはイスラム教徒の民家が軒を連ねていて、このお祭りの時だけ部屋を間貸ししているので、2部屋借りることにする。

総勢19人で交替でマンディ(水浴び)していると、すっかり修学旅行気分。

身も清めたのでいざお寺へ、すると『Pita Maha』ホテルの車が…なんとウブドの王族もたくさん来ていた。どうもウブドの王様が建てたお寺らしい。

お祈りのあと、持ち帰ったお供え物は神様の食べ残しということで縁起物となり、夕食に。

借りた2部屋、居間と車、19人それぞれ寝床につく。Zzz…

翌7月7日、朝5時に目が覚めてしまった、ジャワ島は西インドネシア時間なのでまだ4時。夜明けまであと1時間…

さすがバリ人、夜明けとともに皆起き出して来る。コピを飲んで、7時(現地6時)出発。

お寺のあったスメル山は富士山より高い山らしい、とても雄大な姿を背に、皆行きとは違って車中で寝まくる。一寝入りしたあと、何も食べていないことに気付き、途中でバナナを皆でほうばり、港へ直行。お昼1時ジャワ島を離れる、快晴。

お腹もすいてるし、船も汚く、行きほど船旅を楽しめず、バリ島に到着。待ってました、ランチタイム!!ギリマヌク名物『Betutu』(鶏の丸蒸し焼き)を食す、満足。

夜7時やっと帰宅。どうですか、ただお祈りするためだけの旅。恐るべしバリ人!!

2009年6月23日

バリ 料理 COOKING LESSON レッスン 第3回

今回のメニューは、
ミー・ゴレン&テンペ・バッチャム&アヤム・ゴレン・サユル
そして今回の目からウロコは、
たかがミー・ゴレン、されどミー・ゴレン…奥の深さにびっくりでした。
ミー(Mie)は麺、ゴレン(Goreng)は炒める・揚げるという意味。
ミー・ゴレンは焼きそばで、インスタント麺でもたくさんあるのだけど、この日習ったのは、麺こそインスタントと同じような乾麺だけど、味付けが違う!
ちゃんと、すり鉢で香辛料をすり合わせて、麺と炒めてからめる…おいしいのなんのって。
こんなミー・ゴレンは、バリ生活11年にして初めての味でした。
レストランで食べるのではあまり見かけませんが、ワルンで食べるミー・ゴレンやナシ・ゴレン(炒飯)はたいてい赤い色をしていますね。
それはチャべ・ロンボクという赤い大きな唐辛子の色素で作ったロンボク・ソースの色なんです。
ちょっとピリ辛のこの唐辛子のソースを先に、お湯で戻しておいた麺にからめておくのがミソ。
ナシ・ゴレンも同様、炒め合わせる前に、ごはんにからめておきます。
ワルンの味を再現したい方は、ぜひ一度お試し下さい。

2009年6月4日

バリ レストラン NURI'S WARUNG ヌリス・ワルン

豚インフルなんて何のその!!
ここの豚のスペアリブの炭火焼は絶品、日本が豚インフルで大騒ぎしている時もこのお店は満員でした!
私たちのお隣に座った白人のおばさまは一応大丈夫なのか訊いていたようですが、それでもスペアリブを注文され、かぶりついてました。
そのままでもいいですが、バリ風チリソース(サンバル)をつけてハーフー言いながら食べるとまた格別なのです。
場所は、ウブド中心地からはちょっと離れたネカ美術館の前、駐車場がないのでたくさん路上駐車している付近です。

2009年6月3日

バリ嫁の宿命 『合同お葬式NGABEN&NGARORASの準備』


我が村の4年に一度の合同お葬式の準備が始まったのが1ヶ月前の5月4日、あさっていよいよNGABEN=火葬式です。

バリの人にとって、人生で最も盛大な儀式がお葬式。
生まれ変わりを信じているので、次のステージへの出発なのです。
3年前、ワヤンのお母さん(IBU)が亡くなった時、泣いていたら皆に叱られました、IBUが後ろ髪引かれて次のステージへ行けなくなるから、泣いたらダメだと。

なのでお葬式には多額の費用がかかるため、地位のある人や階級が上の人はすぐにお葬式をするのですが、一般的に一端埋めておいて4年に一度骨を掘り起こして合同でお葬式をします。
ただ、ここ1年くらいのうちに亡くなった人は骨にならないので、遺体は焼いておいて儀式は合同で行います。
NGABENは今回45名。

NGABENが身体の儀式であるのに対して、NGARORASは魂の儀式。
火葬された遺灰は海に流され、魂の儀式を済ませたら無事生まれ変われるそうです。
NGARORASはいつかすればいい儀式らしいので、過去にNGABENまで済んでる人もまとめて今回するということもあり125名、それ以外にも忘れられてる人がいるかも、だそうですが(生まれ変わられへんやん!!)。

準備開始当初は4日ごとに当番がまわってきていたけれど、途中から1日おき、朝8時半からだいたい3時頃まで、昼食とコーヒー2回付で、ひたすらお供え物を作り続けました。
お菓子とか各種7000個と、気の遠くなるような数。
永遠に同じものを作り続けながら、本当に修行をしている気分でした。 
そして今日、骨の掘り起こしと、とりあえず焼いておいた人の魂を海から呼び戻してくる儀式があり、あさってのNGABENが終わればまた17日のNGARORASに向けて準備が始まるでしょう…。
結婚11年にしてまだまだ嫁修行中だけど、 IBUがまだ生きていた頃はIBUにまかせっきりの不真面目な嫁だったので、 少しは安心してくれてるかなぁと思ってる今日この頃です。