2011年6月20日

バリ文化 我が村最大のお祭り6日目:村周辺を大行進

すんごい歩いた、たぶん2時間弱くらい…

今回のお祭りは村とその周辺の平穏も祈るとされているので、お祓いの目的で村の隅々まで歩いたあと、村の入り口をぐるっとまわりました。

ガムラン隊もずっと音楽を奏でながら、写真(下)のようなお菓子や、食べ物でできたバロン(獅子舞)などもお供え物として担ぎ、最後に写真(上)の丘を越えるのですが、普通に歩いててもきつい坂だったので、担ぎ手はさぞかしヘロヘロだろうと思いきや…

ワヤンも神輿のようなものを担いでいたのだけど、こんな儀式は初めての経験だったので、感動してウルウルしてたのだそう…

2011年6月15日

バリ文化 我が村最大のお祭り始まる


2月から準備をしていた我が村最大の100年に一度のお祭り『KARYA AGUNG MAMUNGKAH MUPUK PEDAGINGAN PENEDUH JAGAT, PENYEGJEG JAGAT NGUSABA DESA, NGUSABA NINI, RING PURA PUSEH, PURA DESA, DESA PEKRAMAN BUKIT BATU』がいよいよ始まりました。
お寺の改築と、地球そして村とその周辺の平和を祈る儀式だそうです。
境内には見たことのないお供え物が所狭しと並んでいて(写真大:バロンとよばれるこの獅子舞は全て稲や果物等の食べ物で作られている)、封鎖された道路まで人があふれました(写真小)。
これから11日間いろんな儀式が続くそうです。

ところで、バリのお祭りでは無事に終わるように、前もって悪霊にお供えをする儀式が必ずあります。
昨日もあって、生け贄にした牛のお肉を皆少しずつおすそわけしてもらったのですが…
普段バリのスーパーで売られてる牛肉はすごく臭いので覚悟していたら、全く臭わなくてびっくり、新鮮だとこうなんや…と思い知らされました。
『焼肉のたれ』でいただきました、文句なしに美味しかったです、ごちそうさまでした。

2011年6月10日

7年ぶりの帰国

父親危篤の知らせを受けたのは、今月15日に控えた100年に一度の大きなお祭りの準備でお寺に詰めていた時のこと、泣き出した私をあわてて家につれて帰るワヤン…お寺では感情を荒げてはいけないのでした。

奇跡の知らせがあって3日後、やはり回復が思わしくないということになり、即帰国を決め、出国手続(今のビザを有効にするためリエントリーの手続する必要がある)に丸1日を要し、5日後にバリを経つことになりました。 その頃、医師からあと24~36時間と二度目の余命が告げられていたことを知る由もなく…

帰国は7年ぶり、なのに何の心構えもなく、普段斜めがけにして持ち歩いてるバッグにパスポートを突っ込んで、普段バイクに乗る時専用のなんちゃってcrocsシューズをはき、いきなり飛行機に乗ることになったせいか、初海外旅行に出かける人のような緊張感、空港内も変わっててオロオロ…しかもガルーダ航空は3時間近くも遅れ、朝到着予定がお昼を過ぎることになり病院に直行することに…
奈良で空港バスを降りた私、何か様子が違う…すんごいフワフワして地に足がつかないと言うのか、どっぷりバリの生活に浸かっていた私は異国人オーラを放ちまくってるような、自分がとてもまわりから浮いてるような気がして、気恥ずかしいような妙な感覚。
急なことだったし地元の友達にも知らせていなかったので、もし誰かに会っても私がいるはずがないわけで『純に似た東南アジア人』としか思わへんやろうなぁとか、最寄り駅までの電車の中でそんなことばかり考えていました。

父の意識は戻っていないのですが、どんな病人でも耳だけは聞こえてるらしいって友達から聞いていたので、病院に着いたらすぐ話かけてみました、7年ぶりの再会です。
そしたら、見えてないけど瞼を開けて、口をモゴモゴさせ、涙がポロリと落ちたのです、あぁやっぱり聞こえてる!!と信じて、亡くなるまでの18日間毎日話しかけていました。

子供たちは学年末(インドネシアは7月から新学期)で進級テスト(小学校から落第がある!!)が間近だったこともあり、ワヤンとともにバリに残っていました。 そのテストが急遽翌週に決まったので、その週末に一度バリに戻ろうかと、母が父にその旨を伝えた2日後父は静かに息を引き取りました。 父を送った後すぐにバリに戻り、7年ぶりの日本は家と病院の往復で終わりました。

どこにも行けず、誰にも会えずだったけど、日本の家族と一緒に過ごした3週間はとてもあたたかな時間で、父がくれたプレゼントだと思って、今も心の支えです。

ありがとう、お父さん。

2011年4月24日

奇跡の知らせ

こんな遠くに嫁いで来て、一番恐れていた日が来た、親の危篤の知らせ…
父の呼吸が止まり、脳死も確認され、心臓だけは強く動いているけれど、
あと3時間ほどです、と医師から余命宣告があったと母からの電話。
号泣…後悔…そして覚悟を決め3時間が経過、
かかってきた電話はなんと、父が自発呼吸を始め、脳CTも改善、もち直した、
という奇跡の知らせだった。

神様ありがとう。
お父さんありがとう。

2011年4月11日

東日本大震災から1ヶ月…

1ヶ月経った今も余震におびやかされ、原発も危険レベルが上がる一方で、先が見えないこの状況に、被災地の方々の苦しみは計り知れません。どうかこれ以上悲しみが深くならないように、どうか気力を失わないで、1日も早く、復興に向けての希望の光りが射すことを祈り続けています。

2011年3月6日

バリ文化 昨日は何もかも止まるお正月『ニュピ』

神様がこの1年のことを瞑想するのを邪魔してはいけないということで、火を使ってはいけない(料理できない)、電気もつけてはいけない(夜は真っ暗)、外出禁止(観光客も例外ではない)、車・バイクはもちろん飛行機も飛んでいないバリの静寂な1日『ニュピ』、今年は3月5日でした。
1週間前、うちのホームページを手がけてもらっている山羊山さんが、この組立式天体望遠鏡をおみやげに、6年ぶりにその間生まれた2人の山羊山ジュニアを連れて遊びに来てくれたのです。
昨年のニュピの夜、星空を見上げながら子供たちは寝てしまったことを思い出し、よぉし今年のニュピはこれで南十字星を見るぞー、と意気込んで昼間のうちにテラスに望遠鏡をセット、ピントを合わす練習もし、後は暗くなるのを待つばかり…
がしかし…やはり雨季、夕方から雨が降り出し、夜も星1つ出なくてがっかりして寝床についたのでありました。
バリ独特の暦で毎年ニュピの日は変わりますが、新月の翌日であることには変わりないので、今は星を、満月が近づいてきたら月を見るのを楽しみに、夜空を見上げるのが日課になりそうです。

2011年2月3日

バリ生活 迷子のアヒルたち?!

グワッグワッグワッグワッグワッグワッグワッ…

田んぼの虫を食べるお仕事を終えたアヒルの群れが、夕方になると家の前を横切るんだけど、この日はグワッグワッグワッの声が横切らずにだんだん大きくなってきた。

飛び出して見ると、やっぱりうちに迷い込んで来てて思わず吹き出してしまった。

飼い主のおばあちゃんも追っかけてきて苦笑い。

おばあちゃんの手に握られた棒の先のビニル袋を親だと思ってるアヒルたち、やっとお母さんを見つけて1羽残らず帰ってゆきました。

注:写真はうちの門を出て行くところ、ちゃんと順番待ちしているのが何とも微笑ましい…